佛光寺秋景点描。
今年も暮れつつある…。今や私の中では当たり前の言葉となった、「無常迅速」である。拙ブログもすっかり放置状態になっていた。聖徳太子の遺言「世間虚仮 唯仏是真」という金言に思いを馳せれば、我が仏門も虚仮なる存在ではないか、そのように考えたりする。まさにそれは「虚仮不実のわが身にて...
View Article【INDEX No.119】 アーカイブスガイド
■初冬近し湖西路を快走する、クハ117-1を先頭の京都行き普通電車。2004年11月2日撮影。■ ■巻頭言 『折々のことば』 …(ランダム更新)凡夫という“汚れた水”も、本願という広大な海に流れれば、海に浄化されるが如く1つになることができる。 渋柿の渋がそのまま甘さかな私がまだ駆け出しの僧侶だった頃、明治大正生まれの御老僧たちからよく聞かされた俳句である……………...
View Article知影著『魚山余響』を読む。 -50-
一、観心院僧正文化八年辛未九月の御法事参勤の時の物語に、 住山後宮中院中並御籠の御法事あはせてこれまで三拾箇度つとめらるゝよし、 六十未満にてこれほど度々参仕せられたる人は近代希なるよしなり、 光隆寺知影『魚山余響』第32条...
View Article知影著『魚山余響』を読む。 -51-
一、享和二年癸亥九月宮中御法事の時の事かと覚へ侍る、 僧正の物語に主上初中結ともに御行道のおもむきに候ところ、 中日には御行道なし、桜町院以来御行道の儀中絶のところ、 このたび御行道の儀ふるきに復せらる、先年は後唄のときは入御なり、 このたび後唄のときも僧衆一列に立形にてわたらせらるとなり、 御所作 初日箏 中日琵琶 巌...
View Article阪堺電車、卒寿の古豪。-2017年2月・天王寺遊行-
【1】【1】四天王寺にて。石鳥居に掲げられた扁額の文字が、淡い西日を受けて輝いていた……。多分、ここへ訪れたのは、小学生の時に両親に連れられて以来だと思う。母親が亡くなって半年余り経過していたが、あまり浄土真宗ではいうことのない「菩提を弔う」という言葉の意味を、寺へ行くたびに考えていた頃である……。この日は平野の融通念仏宗本山・大念仏寺へ参詣した後、四天王寺へたどり着いたのだった。あれから2年の歳月...
View Article知影著『魚山余響』を読む。 -52-
一、文化八年辛未十月五日より九日に至り 先帝后桃園院丗三回忌於清涼殿懺法講被修僧衆十三口、 五ヶ日とも聲明懺法導師梶井承真法親王也、中日例時作法知観僧正、結日 主上御行道あり、 主上御所所※ 初日笛 中日箏 結日琵琶 共行近衛内大臣基前 久我大納言通明 廣幡中納言経豊...
View Articleヤブログが終わる…。
ヤブログのサービス提供が、12月を以て終了するらしい。つい先日、そんな噂を耳にしたものの、さほど気にも留めなかったが、記事を更新する時に表示が出るようになった。過去にアップしてきたデータは、他のブログに移管することはできるようだが、記事に書き込んで貰ったコメントは消えてしまうらしい。何か、ここに紡いできた歴史の一部が欠落してしまうようで、とても寂しい気がする。あるいはここで繋がっている《ブログ友》た...
View Article【INDEX No.120】 アーカイブスガイド
■春の陽光を浴びて昼寝を楽しむ270。京都市山科区の京阪電鉄・四宮車庫にて、1981年3月24日撮影。■ ■巻頭言 『折々のことば』...
View Article続・「終活」考。
「端午の節句」前日の5月4日は、父親が85歳になんなんとする日である。そして時同じくして、母親の祥月命日なのだった。母親が逝って、早3年の春秋が流れた。まことに「白馬が眼前を駆け抜けて行くが如く(『親鸞聖人正明伝』にあるフレーズ)」、あっという間である。年々、毎日が目まぐるしく過ぎ去る感がある。母親が亡くなった時、父親はその《死》そのものに、「人生における最高の《美》を感じた」と言った。我々は生物学...
View Article拙ブログ最終更新、FC2ブログへ…。
2005年5月以来、更新を続けて来た拙ブログも、本記事を以て最終更新と致します。駄文の収蔵庫も、気が付けば14年の歳月が流れ、記事数は1877に至りました。そして延べ訪問者数は83万人を超えるに至りました。ここ最近はともすれば放置状態が続いておりましたが、引き続き牛歩ではありますが、FC2ブログへ移行して続けていくつもりです。旧来よりお付き合い下さった方々には、これからも移行先でもよろしくお願い申し...
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